織姫神社由来
織姫神社
織姫神社は日本織物会社(後に富士紡績株式会社)の繁栄を祈願して川内の白滝神社から勧請して正門右横に開かれた。明治28年11月鎮座祭が行われ佐羽喜六が式辞を述べている。こりより前、佐羽喜六は日本織物会社で生産した「織姫繻子」販売宣伝に、白滝神社に祀られている白滝姫の立ち姿の商標を作り製品に付けて販売したところ、好評を得て販路は海外まで広がった。この神霊の加護に報いるために商標のモデルとなった白滝姫立ち姿をご神体として織姫神社を建立したのである。更に実業家としての才を示すものとして明治27年に織物繻子宣伝劇「白滝姫恋物語」を明治座において二代目市川左団次一座により上演し、これが大人気を博した。その時の「織姫繻子宣伝錦絵」は桐生織物協同組合に所蔵されている。この機縁により市川左団次は明治28年6月明治座座長名義で南蛮鉄の大天水鉢一対(上部直径3尺2寸5分、高さ3尺)と鋼錫合金の唐金大灯篭一対を奉納している。しかしこれらは戦時中(昭和18年)の供出で跡形もない。また同年11月明治座付き茶屋日野屋は南陵藤原惟菫筆の「白滝姫、山田舎人両人歌合会額」(建て3尺、横4尺)を奉納している。なお、境内には富士紡績株式界社工場跡の碑、佐羽喜六君の碑、「ふるさとへ 萩のたよりを ものしたり」と刻んだ句碑が建っている。
白滝姫像
明治25年に日本織物会社創立者の1人佐羽喜六が依頼し制作した。平成12年に調査補修のためご開帳したところ、作者が判明し幕末から明治期に活躍した生き人形師安本亀八の作品であることが分かった。ご神体の身の丈は163㎝あり、端整な顔立ちで左手に金糸の糸巻き、右手に扇を持ち、扇には七夕信仰ゆかりの褐色にピンクを加えた六色の糸が巻かれている。
参考
安本亀八(やすもと かめはち)
安本亀八(文政8年(1825年)7月 ~ 明治33年(1900年)12月)は、江戸時代末から明治にかけて活躍した人形師、初代の安本亀八である。
熊本迎宝町、現在の熊本県出身。仏師の家系に生まれ、その道を志すが明治維新以後は排仏毀釈運動の影響で仏師としての仕事は無く、人形細工師として身をたてる。その後、活人形師として兄と共に上方へ出て初興行を行う。最大の出し物は、生身の人間の姿をそのままに造った、「活人形」(生人形)であった。人形の造形は精緻で、まるで血が通い、生きているかのようなリアリティは多くの観客を呼び集め評判になった。江戸で興行した『忠臣蔵』などの演目は庶民に大人気を博した。当時の日本では活人形師として松本喜三郎とはその技量と人気で双璧だったという。
